西上寛の日々ブログ

日本の「茶」のはじまり

2017/05/06

茶のみのニシウエです
新茶の季節ですね いろんな産地からぼつぼつ新茶が入荷し始めました

今年は 今まで扱ったことの無い産地も仕入れさせていただきました
沖縄県国頭村は産業茶園としては 日本最南端です おくみどり という品種が主なのですが 「おく」という晩生種なのに それでも日本で一番早い時期に茶摘みがされます 「おくみどり」の特徴である すっきりとして渋味の少ない味わいは 沖縄の燦々と輝く太陽で育まれた日本茶らしく美味しいですね 水出しにも適しています

さて この「日本茶」ですが 元来 日本に自生していたものではなく 外から入ってきたものです
日本で育てられている農産物の多くは この「茶」のように外来のモノが多いです 四方を海に囲まれている島国ならではですね
例えば サツマイモも外来野菜です 日本原産とされる野菜で 確実なのは 蕗(フキ) 三つ葉(ミツバ) 独活(ウド) 山葵(ワサビ) 明日葉(アシタバ) 芹(セリ)ぐらいらしいです

日本茶に話を戻します
文献によると古くは 遣唐使で唐に留学していた天台宗の開祖 最澄が茶の種を持ち帰り 琵琶湖の西岸 比叡山の麓 近江國(今の滋賀県)の坂本に茶園を開いたのが 日本で最初の茶園だと言われています
また 高野山に真言密教の道場を開いた空海も茶の種を持ち帰ったと言われています

時代は下って鎌倉時代初期 3代将軍源実朝の時代に 臨済宗(禅宗)の開祖 栄西(ようさい えいさい)が茶の実を宋から持ち帰り 九州上陸後 背振山(佐賀県と福岡県の県境)に茶園を開き 京に立ち寄った後に 鎌倉に入り 年中酔っぱらっていた将軍実朝に献上したと鎌倉幕府の正史「吾妻鏡」に記載されています
曰く「二日酔いの妙薬である」と記載されています 栄西は自著「喫茶養生記」にも茶の効能として 覚醒効果があることや二日酔いの妙薬であることが紹介されています

しかし 最澄さんや空海さん 栄西さんの活動が今の「日本茶」の産地を作ったわけではありません
では どうやって「日本茶」は全国に広がるようになったのか?

そこには ある僧侶の活躍がありました
その人の名は『明恵(みょうえ)』さんと言います 京栂尾高山寺の開祖であり そこには栄西さんから譲り受けた茶の実で作られた茶園があります
「明恵」の画像検索結果
華厳宗中興の祖でもある 明恵上人

明恵さんは 修行の妨げとなる眠りを覚ます効果が茶にあるということで衆僧にすすめ 高山寺にも植えたと言われています
さらに 明恵さんは宇治 五ケ庄大和田の里(現在の宇治市五ケ庄西浦)の土地を選んで茶種を播いたと伝えられています これが宇治茶の起源です
明恵さんは 栂尾で育てた茶の木を栽培に適した宇治の地へ移植させたのですが 茶の木を与えられた里人たちが どのような間隔で植えたらよいのか悩んでいると明恵さんが畑に馬を乗り入れて 馬の蹄の跡に植えるよう指示したそうです 宇治 萬福寺の総門前の駒蹄影園址碑(こまのあしかげえんあとひ)には そのことが刻まれています その宇治の茶園を開いた品種が「駒影(こまかげ)」という名で残されています

この宇治の茶園が開かれたことにより 全国各地に株分けされ いろんな茶産地が出来ました

ただ 静岡茶の祖である本山(ほんやま)茶は 駿河国(今の静岡県)出身の僧侶 聖一国師さんが宋から持ち帰り 植えられたことから始まっておりますので 静岡の茶産地は 明恵さんとは別系列で発展していきました

この明恵さんですが 実は紀州(今の和歌山県)出身なんです

同郷の大先輩である明恵さんが 実質的な日本茶の祖であり 栄西さんから 茶の実(茶のみ)を預かったことから 日本の「茶」が始まったことは 私にとっては とても励みになることです
新茶の季節なので 明恵さんのこと 紹介させていただきました

今回もお読みいただき ありがとうございます(多謝)

【おまけ】

宇治和束の新茶は 5月10日頃から始まります 5月15日の週には届く予定です