西上寛の日々ブログ

日本茶は西の方からやってきた

2016/05/22

嬉野という地名をご存知ですか?
長崎県と佐賀県をまたぎ佐賀県南西部の嬉野市から長崎県東彼杵(そのぎ)町にかける地域で生産されるお茶を「嬉野茶」と呼びます
主に佐賀県側に茶園は存在し 佐賀県の栽培面積は国内第7位(平成22年データ) 荒茶生産量は第8位(平成20年データ)です

その歴史は古く永享12年(1440) 平戸に渡って来た明の陶工が 茶栽培の適地を探し求め不動山皿屋谷に移住し 自家用の茶樹の栽培を伝えたのがはじまりであると言われています
その後 明から導入した南京釜を使用した釜炒り技術が導入され 産地は拡大 江戸時代には長崎から輸出され欧米に評判が広がったと言われています
幕末には 長崎の貿易商である大浦慶によって安政3年(1856年)8月にイギリスの商人W・J・オールトから巨額の注文を受け わが国の幕末期の本格的な茶の輸出が始まりました

つまり 近代日本の幕開けを飾ったのが この「嬉野茶」です
日本茶は 生糸と並んで 戦前 外貨獲得の大きな輸出品の一つだったわけですが その始まりが 坂本龍馬のパトロンの一人だった大浦お慶さんだったのは 幕末史を大学時代専攻していた私としては 非常に因縁めいたものを感じています

さて 「嬉野茶」ですが 以前はその多くを前述の通り「釜炒り茶」を生産していましたが 現在では95%を蒸し製のお茶に切り替えています
ただ 釜炒り茶の名残はとどめており その多くは「蒸し製玉緑茶」と言われるものです
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蒸し製玉緑茶は 形状が「グリッ」としているので「蒸しぐり」「ぐり茶」と呼ばれます
その水色は爽やかな緑色です

嬉野は北に大村湾 南に有明海と南北を海に挟まれ霜が降りにくく また山に茶園が広がっており 温暖で日当たりも良いことから 古来よりお茶作りに適した土地でした
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嬉野の茶園の風景です

先にも述べましたが 当初は主に「釜炒り製玉緑茶」通称「釜ぐり」が作られていたので 日本茶の源流を大切にしたい 茶のみ は 嬉野で残っている「釜ぐり」を扱わせていただいております
(白)釜炒り鬮倡エ・驥懃r繧・kamairi_img

この「釜炒り製玉緑茶」は九州に広がり 熊本県西部や宮崎園北部の阿蘇周辺に定着しています
品種による味の違いは 蒸しのお茶よりも釜のお茶の方が 顕著に出るのではないか?と私は思っています
特に 香りの強い品種ほど 釜炒りのお茶では その特徴が出やすいと言えるでしょう

釜炒り製玉緑茶の特徴は その香りにあります
釜香といわれる香りは 中国のお茶に似ているところがありますが ジャスミン茶や蓮茶のような花のような香りがします
そして その味は非常にスッキリとした渋味があり 口中を洗い流してくれるようで食事にも非常にあいます
玉露や上級煎茶のような いわゆる「うまみ」には乏しいですが一煎目から 高温のお湯で淹れることが出来るので忙しい現代の人にはむいているのではないでしょうか?

海外での活躍はというと 一時 昭和40年代に釜炒り茶は海外でもてはやされた時期がありましたが 現在では中国のお茶に気圧されて後塵を拝しています

茶のみでは この「釜炒り製玉緑茶」の魅力を今後も発信していきたいと思っております
是非 試飲をされに お越しくださいませ

今回も最後までお読みいただき ありがとうございます(多謝)

【おまけ】

福岡で住んでいたころ たまに食べた アナゴの刺身  美味でした