2016/06/18
日本人の特性として「閉鎖的で保守的」と云われる場合があります
外国人が来ると もじもじしてあまり話も出来ず 会社関係のパーティーなどでは知っている人たち(同じ会社の人たちなど)とすぐに塊になって 結局いつもの会社帰りの呑み会と同じような感じになったりします
果たして 日本人は昔からそうだったのでしょうか?
私は大学の頃日本史を専攻するぐらい歴史が好きです 歴史上の人物は 非常にイキイキとして社交的な人物がいっぱいです
時代によっては海外との交流を積極的に行った時代もあります
聖徳太子の治世では 遣隋使として 中国に使者を送って 先進的な文物を取り寄せ 人物も招聘していたようです
また 奈良時代よりも以前 大化の改新(645年)後 朝鮮半島南部にあった倭国(当時の日本の国名)の支配地域「任那(みまな)」が滅亡し 半島西部の百済(くだら)が 半島北部から東部を領有していた新羅(しらぎ)と中国大陸の支配者唐(とう)の連合軍に攻撃を受けていたため 友好国の倭国が百済に赴き 百済・倭連合軍と新羅・唐連合軍が白村江で戦った記録が残っています
世にいう「白村江の戦い 663年」です 西暦663年に日本から朝鮮半島に渡って戦争をしにいったということです
また その後 奈良に都が置かれて(平城京) 大和朝廷が日本を支配すると唐の国と積極的に交流しました(遣唐使)
奈良にある 唐招提寺を建立された鑑真さんは 日本に仏教の教えを伝えるために7度も難破し 失明するようなことになっても 8度目にようやく日本に来てくださいました
伝教大師最澄や弘法大師空海も遣唐使として中国に渡っています
時代が下って 平安時代になると唐の国が混乱し 遣唐使を派遣することも無くなりましたが 平安末期には平清盛により 日宋貿易が盛んになります
その後 鎌倉末期から戦国時代を通じて 「倭寇」と云われる海賊が 九州から朝鮮半島や中国大陸を荒らしたそうです
江戸時代初期まではルソン(現在のフィリピン)やシャム(現在のタイ)といった東南アジアとも交易がという記録が残っています
つまり 日本は四方が海に囲まれているので 海外との交易が盛んに行われ エンジンの無い木造の船に乗って 朝鮮半島や中国大陸 遠くは東南アジアまで行っていたということですよね
その頃の日本人は 恐らく「開明的で進歩的」なところが多分にあったのではないでしょうか
では 何故 日本人が「閉鎖的で保守的」と云われるようになったのか?
それは 豊臣秀吉の治世 太閤検地や刀狩にはじまる兵農分離から江戸幕府の政策による「鎖国」や「五人組」などが大きく影響していると考えられます
その間の400年によって 日本人の多くはほとんど異国の方々との交流がありませんでした
それが「内向きの日本人」を作ったと言えるでしょう
そして 振り返って現在 まだまだ「内向き」で「閉鎖的」で「保守的」な日本人が多いです
しかし これからの日本は (多くの移民を受け入れない限り)国内の人口が減少します 厚生労働省の推計では2060年には人口が9,000万人を割り込むそうです
現在の1/4の人口がいなくなるのです 4人家族は3人家族になります 財布の数が1/4減ります 年間100万個売れいた商品が75万個になるのです(暴論ですが)
そんな中 「地域を繋ぐ」などということを真剣に考えている人々は 果たして何人いるのでしょうか?
どうやって50年後の「地域を繋ぐ」つもりなのでしょうか?
私がさせていただいている事業はお茶の製造と販売です
50年後に会社がどうなっていたいか?は既にまとめています
事業者の皆様 自治体を運営するお役所の皆様 果たして2060年人口が3/4になったときのことをイメージできていますか?
イメージするために必要なことが何なのか?わかっていますか?
金沢という人口40万人そこそこの地方都市から発信する『日本茶のある暮らし』のイメージについては 語るまでもなく事業を進めることで皆様に見ていただきたいと思っております
今回も最後までお読みいただき ありがとうございます(多謝)
【おまけ】

50年後には この東京のネオンの光量も3/4になるのでしょうか?