西上寛の日々ブログ

てにをは

2016/11/05

茶のみのニシウエです
高校二年生の娘が そろそろ進路で悩んでおりまして 今朝 学校に送る車中で会話をしました

文系の彼女は 日本語に興味があるようで「てにをは」を勉強したいということでした
何を言い出すの??? と思いましたが 文章を書くことが好きな彼女は日本語を海外の人たちに教えたりしたいそうです

考えてみると 日本語の助詞は 不思議なものです
英語で I love you を日本語に置き換えると 私 愛する あなた ですが ここに助詞の置き方を間違えると 私を愛するのはあなた となります 本当は 私はあなたが好きです なのに 突然上から目線になります 不思議なものです

てにをは… 三省堂大辞林より
(1)漢文を訓読するとき,補読しなければならない,助詞・助動詞・活用語尾・接辞などの古称。てには。
(2)助詞・助動詞の用法。言葉づかい。
(3)助詞のこと。
(4)話の前後関係。話のつじつま。

つまり てにをは がきちんと成り立っていない文章は 文章として成り立たないそうです
いやぁ Blogを書いていて 自信が無いですね(苦笑)

この「てにをは」起源をたどれば かなり古いです
「てにをは」は 漢字では「弖爾乎波」と書くそうです もうこの時点で 何のことやら???ですが 平安の昔 博士家(はかせけ)という役職がありました

平安以降 大学寮などにおける博士の職を世襲した家柄だそうで 菅原・大江・清原・中原などの各家が有名とのことです 菅原で思い浮かぶのは 菅原道真 天神様ですね 大江さんは 鎌倉幕府初期の官僚 大江広元ですね 清原さんは歌人 清原深養父(ふかやぶ)が有名です 「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづくに 月宿るらむ」 清少納言もこの清原氏の出身です そして中原さん 残念ながら私は中原さんを代表する方を存じ上げません(スミマセン)

さて 助詞の話
平安の昔は 漢文を訓読する際の補助として どの助詞 助動詞等を接続するかを漢字の四隅のいずれかに乎古止(をこと)点と呼ばれる点を打って表わしていたそうです
その四隅の点がそれぞれ「て」「に」「を」「は」に対応していたのが起源となって助詞 助動詞 接尾語等の総称になったとのこと
つまり 「てにをは」という言い方は 平安時代からあったようです 鎌倉時代には確実にあったということです

それぐらい 古くから この難解な日本語を表現するものとして「助詞」は存在していたんですね

現代の日本語を知るには やはり日本語の成り立ちを学ばないといけないそうです

あぁ 我が娘よ
一つの現象の裏や底をえぐり出し 表に出すことで新しいモノを表現しようとする
やはり「ニシウエヒロシ」の血を受け継いでいるのだと 深く実感した次第です

親バカ&子バカですな

今回も最後までお読みいただき ありがとうござます(多謝)

【おまけ】
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娘が中学生のときに 急遽作ってあげた弁当
唐揚げ&鮭ほぐし&卵焼きの丼弁当 今見てもウマそう(笑)