西上寛の日々ブログ

明王の表情

2016/08/31

お盆に帰省してきました(和歌山県九度山町です)
高野山に赴き 奥の院大師廟にお詣りし 金剛峯寺にも伺い 霊宝館にも行ってまいりました

高野山霊宝館には 様々な展示がされています
その中でも 今回 勉強になったのは 「明王」は怒っているだけでは無い ということです

高野山霊宝館のホームページには「明王」について 次のように説明されています

http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/myo/index.html
明王の「明」とは、サンスクリット語のヴィッドヤー(vidya)の訳語で、「知識」・「学問」を意味します。その「知識」は聖なる音を唱えることによって会得する、という信仰から、神秘的な力を秘める言葉とされる真言や陀羅尼(だらに)そのものを「明」と呼ぶようになりました。この「明」のもつ神秘的な力を身につけている人のことを「持明者(じみょうしゃ)」と呼び、「持明者(じみょうしゃ)」の王が明王です。
明王は密教独特の仏で、如来や菩薩では教化し難い悪しき衆生に対し、真言や陀羅尼の力でもって煩悩を打ち破り、覚(さと)りの世界に導くはたらきをもっています。
その尊像は勢いよく燃えさかる真っ赤な火焔を背負い、怒りの表情(忿怒相)で、激しい身体の動きも加えられ、威圧するように力強い姿で表現されます。

「明王」の中で有名なのは『不動明王』であったり 『愛染明王』です
私は 酉年生まれなので 守り本尊は『不動明王』です

『不動明王』の説明は 高野山霊宝館によれば 次の通りです
http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/myo/fudo.html
「お不動さん」と呼ばれ親しまれる不動明王は、悪魔を降伏するために恐ろしい姿をされ、すべての障害を打ち砕き、おとなしく仏道に従わない者を無理矢理にでも導き救済するという役目をもっており、大日如来の化身としての使者というわけです。
その姿は、眼を怒らせ、右手に剣(宝剣(ほうけん))を持ち、左手に縄(羂索)を持つたいへん恐ろしい姿をしていますが、その心は人を救済しようとする厳しくもやさしい慈悲に満ちて「顔で怒って心で泣いて」という姿なのです。
(中略)
不動明王は、インド・中国を経て、九世紀の初めに弘法大師によって日本に伝えられた明王で、その信仰は、特に日本で盛んになりました。曼荼羅では、胎蔵曼荼羅の持明院に不動明王の姿を見出すことができます。

「顔で怒って心で泣いて」
誰もむやみやたらに怒りたくありませんよね(苦笑)

さて 霊宝館にお伺いして いろんな仏像を拝見している中で 『不動明王』の説明のところで 次のような説明がありました
“「明王」の怒りの形相は 怒っているだけでは 無いのです 衆生を救済するために 必死になっているから 必死の形相 でもあるのです”

「明王」は 人間の心の『必死なときの顔』を見せてくれているんだと 理解しました

翻って 自分自身『必死』になって生きているのか?という問いが心に生まれました
『必死』なときもあれば そうでないときもあると思います

折角 ご縁があって 守り本尊が『不動明王』なのですから 『必死』に生きていこうと 心に誓いました
怒るのではなく 必死に ただひたすら 必死に 仕事に 遊びに 生きていこうと思います

今回も最後までお読みいただき ありがとうございます(多謝)

【おまけ】
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重文 不動明王坐像 一躯金剛峯寺 平安後期
伽藍不動堂(国宝)の元本尊で、八大童子と共に祀られていた。左目をやや細め、口元からは上下の歯牙が露出している。痩身な体躯に、膝部に見られる流麗な衣文線など、平安後期の作風が見てとれる。
高野山霊宝館 ホームページより抜粋
http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/cyokoku.html