西上寛の日々ブログ

八朔

2024/08/01

茶のみ仲間のニシウエです
八月一日(朔日) 八朔(はっさく)です・・・???

八朔(はっさく)って何?
ということで デジタル大辞泉より引用します

1 陰暦の八月朔日ついたちのこと。また、その日に行われる行事。農家ではその年の新穀を日ごろ世話になっている人に贈って祝った。町家でもこの風を受けて互いに贈り物をし、祝賀の意を表した。また、徳川家康がこの日江戸城入りをしたところから、武家の祝日となり、大名・旗本などが白帷子(しろかたびら)で登城し、将軍家に祝辞を述べた。また、江戸吉原では、遊女たちが白無垢しろむくの小袖を着て祝った。

2 ミカンの一品種。果実は表皮が滑らかでやや小形、甘味も多い。江戸末期に広島県因島で発見された。八朔柑はっさくかん。

ふむふむ…和歌山県人としては 2の柑橘の種類のことは知っていましたが 1の意味は よく知りませんでした

精選版 日本国語大辞典には次のように書かれています

① 陰暦八月一日。またこの日の行事。田実(たのむ)の節供ともいい、本来は収穫に先だつ穂掛(ほがけ)祭で、農家で、その年に取り入れした新しい稲などを、日ごろ恩顧を受けている主家や知人などに贈って祝った。のち、この風習が流行し、この日に上下貴賤それぞれ贈り物をし、祝賀と親和とを表わすようになった。朝廷では鎌倉時代後期から行なわれ、室町時代には幕府にも広まった。また、近世では、天正一八年(一五九〇)のこの日に、徳川家康が初めて江戸城にはいったところから、武士の祝日の一つとなった。大名・小名や直参の旗本などが白帷子(しろかたびら)を着て登城し、将軍家へ祝辞を申し述べる行事が行なわれていた。八朔の祝い。八朔の礼。

② 江戸の遊里、吉原で行なわれた紋日(もんび)の一つ。陰暦八月一日には、遊里内の遊女たちは、全部そろって白無垢(しろむく)の小袖を着て、そのまま客席へ出たり、おいらん道中を行なったりした。この風習は、元祿年間(一六八八‐一七〇四)、遊女高橋が白無垢のまま病床から客席に出たところから生じたという。

③ 陰暦八月一日の前後に吹く強い風。

④ ミカン科の常緑高木。広島県原産で、和歌山・広島・愛媛・徳島県などで栽培されている。果実は扁球形で適度な甘味と酸味があり、生食される。採果は一二~一月で、一~五月に出荷される。和名は八朔(陰暦八月一日)頃から食べられるところからとされるが、実際には、その頃では果実は小さく食用に適さない。はっさくかん。

へ~~~…
ちなみに 今年の八朔は 今日 太陽暦の8月1日ではなく 旧暦の八月一日なので 令和六年九月三日(火)です