西上寛の日々ブログ

歴史の背景をえぐる

2017/07/08

茶のみのニシウエです
最近 Blogで歴史のことを語ってないなぁと思ったので たまには歴史の扉を開けてみましょう

日本の歴史には いくつかのターニングポイントがあります
例えば 武家政権を確立させた「北条政子の演説」では 鎌倉殿(源頼朝)の恩を盾にとって 御家人の結束を促し 後鳥羽上皇方の荘園型領主制を打ち破り 江戸幕府滅亡までの農業経済を基盤にした封建領主制の下地を作った瞬間でした

また 大政奉還を実現した徳川慶喜の決断は 前述の農業経済を基盤にした封建領主制にピリオドを打ち 近代の扉を開いたという点で 後世に評価されています

そんなターニングポイントの一つに 豊臣政権期の「刀狩り令」があります

「太閤検地」とともに 日本史で学んだ人も多いと思います
これで 武士と武士以外に区別され 近世型封建制がスタートしたと言われています
つまり 農業経済を基盤にした封建領主制が 新しいステージに移りました それまでは 農業しながら水や土地の権利を守るために 百姓が領主のもとで武装し 兵と農の役割が混在化していました その兵農分離を行ったのが 「刀狩り令」だと位置づけられています

しかしながらこの「刀狩り令」を境に 実は経済基盤が農業に偏った瞬間でもありました そのための「太閤検地」だったのです

どういうことか???

豊臣政権の前の政権は 足利政権ではなく 織田信長による政権が日本の半分を占めていました

この織田政権は 足利政権および織田政権以外の地方と大きな違いがあります
それが 織田信長による「楽市・楽座」です

「市」「座」というのは 経済活動の既得権益集団でした
誰でも自由に商売できるわけではなく 一定の力(この場合 武力を持った場合が多い)を持った商人集団が領主と結託し 上納金を納めることで商業権を有していました

それを 織田政権では その領地において 誰でも自由に商売をして良しとして 作物や魚・獣肉よりも銭を重視することで貨幣流通をスムーズに行い 国内外の物の価値を上げ 民の経済活動の自由度を保障しました 結果 織田領内への民の流入が多くなり 経済活動が活性化し 税収が上がり 織田政権も裕福になっていきます
その結果 兵農分離を宣言するまでもなく 武士団の専軍化が可能になります
織田信長という人は 領主は織田信長ただ一人(または 織田家のみ)で 織田家領内を担当する軍団長(柴田勝家や明智光秀 羽柴秀吉など)は 領土を預かる軍団長という認識だったのでしょう 現在に例えると支店長や支社長という認識に近いものだと思います

一方 周辺諸国は民が流出することで 経済活動が疲弊し 織田方との戦にも兵を借り出すことが容易ではなくなり 織田方に屈することになっていきます

つまり 織田政権は貨幣経済を中心とした近代型経済を志向していたという点でも 日本史上稀有な政権でした

豊臣政権は その性格から織田政権を引き継いだかのような認識がありますが 実はその経済活動という点では 全く様相を異なります
豊臣秀吉はその出自が百姓ということもあったことから 領土意識が強く 部下に対しても 領主という認識を認めていたと思われます
力を持ち過ぎないように 転封という 今でいう転勤もさせましたが しかし 封建制であり 領主制であることは その土地の収税の権限を認めていたことから明白です

この豊臣政権による 農業経済を基盤にした封建領主の復活が江戸時代を作り 現在でも我々の意識の中に根付いていると思われます

歴史に「もしも」はありませんが 「もしも 織田信長が天寿を全うしていたとしたら」 日本の近代化は英国と同じスピード感で進んだかもしれませんね

Blogにしては 長すぎました お付き合いいただき ありがとうございました